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2002年12月19日
会社で研修はヒマつぶしにはいいが年末はヤメテケレ2。

んで、研修の続きを昨日受けてきた。
例の経営シミュレーション・ゲームなんですが、ここはエセ診断士パワー存分に発揮し、結果は4チーム中第3位という非常に中途半端な成績で終了。
イケイケどんどんで押しまくるハズが、チームのメンバーに止められてやり切れんかった。ちっくしょー。

まぁ結果はおいといて、良く出来たゲームだった。この2日間で、確かにP/L、B/S、CFという3種類の財務データの関連を説明できていた。経営ゲームを解く中で、きっちりP/Lの利益増減・在庫増減・キャッシュ増減の関係を疑似体験させており、お見事でした。

進め方としては、ゲーム→解説→ゲーム→解説と期が変わるごとに、流動比率や固定比率の解説などが加わるのですが、周りを見てるとその説明を明らかに参考にして次期の経営ゲームに臨んでいる。単純にペーパーだけを勉強するスタイルならば、このような体験はできなかったであろう。

野中教授のセキモデルにおいて、形式知を暗黙知へと変換することがナレッジマネジメントとして重要視されているのだが、その方法は「マニュアルなどの形式知を読むだけでなく実際に体験させ、何度も繰り返すことで自分の中に取り込む(暗黙知)ことができる」としている。
今回はその入り口を見たような気がした。んー、産能大もナカナカやるもんだ。ノウハウを効率的に伝えるにはやはりこの手のやり方が良いんだろうかのー。

2002年12月17日
会社で研修はヒマつぶしにはいいが年末はヤメテケレ。

えー、本日は会社で研修を受けてまいりました。
これがナカナカおもろい。ナカナカよくできている。

何かというと、経営シュミレーション・ゲームなんですよ。4チームに分かれ、各チームに社長・営業部長・財務部長・総務部長・製造部長などを配置(役割分担)し、会社創設から第5期目までを運営しようというわけだ。最終的に、株価が最も高いチームが勝ち ということになっている。

各チームにはパソコンが1台あてられ、まず期初の販売・生産・仕入などの計画を立案し、データ入力。で、それを無線LANでホストPCに飛ばし、ホストでは各チームのデータをもとにバーチャルマーケットで売上や欠品率や株価などごにょごにょごにょと計算するという仕組み。当然、その結果はまた無線で各チームに飛ばされ、来期の計画へとつながってゆく。

ゲームは本日と明日の2日間。今日で1〜3期まで終了したので、明日は4〜5期で遊ぶことになる。今日時点での結果は株価順位 第二位。売上は第3位だが利益率が高いという高収益型企業である。しかし、なんとまぁ在庫がたまっちまってキャッシュフローが悪化しているという状態。

まーとにかく内部留保をためるのが株価を高めるコツらしく、この手の教科書的な話でいけば、このまま高値を維持して高利益を保つのが正解なようだ。
しかし。やはりゲームである。盛り上げないかん。しかも在庫もたまっている。ここはやはり某社孫氏のごとく、またはたとえどんなに2チャンネルなどで悪口をいわれようとそれでも徹底的に垂れ流し的に売りつづける某ヤフーBBのような、そんな会社に私はなりたいアーメン。

2002年12月9日
たまには事例についてエラそうに語ろう2


本日のお題:読むのも書くのも言葉は大切にしとこうよ。

「コトバ」って不思議なもので、「言葉」と書いたり「ことば」と書いたりするだけで、えらい違うものになってしまう。

このHPの「読書」で、『うまい!と言われる 文章の技術』の感想を書いてるが、あらためて自分が気に入ったトコを拾い出してみると・・・

・書くことは読むことである。他人の目で自分の文章を読む
・読むのも、書くのも、想像力の作業なのである。
・文章とは、書く側と読む側の共同作業である。
・文章は読まれることで完結する。
・読んでもらうためには、読まなければならない。


んー。こうして眺めると考えさせられるコトバ達だ。

冒頭の文章、  『「コトバ」って不思議なもので、「言葉」と書いたり「ことば」と書いたりするだけで、えらい違うものになってしまう。』  というのも、書いてるおいらが読んでるあなたを想像して書いてるわけだな。「アナタも言葉とコトバは印象が違うだろ。そだろ。」と想像しながら書いているわけである。確かに、書くことは読むことであり、想像力の作業であり、読み手との共同作業である。

さて、事例には無駄な文が一つもない、とよく言われる。
一度やってみると分かるのだが、事例問題を作るのって非常に難しい。んで、実際の企業を題材にしないとマズ作れない。架空の企業を想像し、与件を作るなんざぁまず不可能と思っていいだろう(一部学問チックな事例問題もあるが、あれは例外)。んで、その企業を一度分析し、実際に抱えてそうな問題点をあぶっておかないと、設問だって作れない。

そして、設問を作るとなると、このとき読み手(つまりは受験生)を意識せざるを得なくなるのである。読み手を想像しながらコトバを選び、文章を加え、削除し、整える。おそらくは何度も読み返し、無駄な個所や書きすぎな個所がないか推敲されて、本試験として世に出るのである。
こうして、無駄なコトバがなく、かつ、見える人にとっては論理一貫性のある事例問題ができあがるのである。

読んでもらうためには、読まなければならない。
事例問題の一文字一文字を読まなければならない。書き手は必ず読み手である受験生を意識して書いている。こう書くと試験テク的に聞こえるかもしれないが、そうではない。逆に試験を忘れ、素直に書き手の気持ちや意識を感じようとすれば、自ずと答えが見えてくるはずだといいたいのである。そもそも文章とはそういうものだから。
読んでもらうためには、読まなければならない。
自分の回答を批判的に読まなければならない。自分の回答の最初の読者はあなた自身である。回答は、書いた瞬間に主張から批判へと意識を変えねばならない。書き手の主張という意識から、読み手の批判という意識へと変えねばならない。
読んでもらうためには、読まなければならない。
人の答案を読まなければならない。そして仲間の答案や意見やそこに至る思考プロセスを慎重にたどるべきである。同じ設問を別の人がどう考えたのかを知ることで、あなたの中に客観的な読み手が存在するようになるだろう。

2002年12月6日
たまには事例についてエラそうに語ろう。

二次試験が終了し、診断士受験生にとってはなんちゅーか、こう肩から力を抜くことのできる休息の時がこの12月である。読みたかった小説なんか読んだりしてリラックスしちゃうわけだよなぁ。
ちゅーわけで、今時分ならたまにはこんなたわごとでも。

コホン。テーマはコレ。

『事例は集団討論が効果ある、が、事例は個人的なモノである』

ええと。事例って、集団討論が効果あるのは周知なわけで、私も勉強会なんぞにせっせこ通い、うまいこと試験に合格できました。しかしながら一方で、非常に個人的なモノでもあるわけなんです。

個人的なってのは、同じ事例でもAさんにとっては難問なのにBさんにとっては簡単だったり、Aさんは題意の抽出が苦手なのに対してBさんは回答の書き方にアタマを悩ませてたり。
また、誰かの回答に対し、「イイ。これが絶対正解だよ。きっと。」とAさんが言ったかと思えば「いや、違うと思う」とBさんが言ったりする。
さらには現役の診断士同士でも、CさんとDさんとで違うこと言うし、各予備校の模範解答もてんでバラバラだったりで、一体アンタらホンマに診断士?って問われてもごめんちゃいと謝るしかない状態でもある。

この原因は当たり前のハナシですが、「個人個人持ってる知識・知恵・意思決定基準が違う」からです。つまり、モノサシが違う。ってことはさらにつまり、『測定できない』

む?むむむ???なんかヘンですよね。自分の回答が正しいのか間違ってるのか『自分で測定できない』から、仲間の意見・回答・考え方を聞いて比較して正しい解答を知ろうとしてるんですよね。しかし実のところ、みんなバラバラじゃぁ話あっても測定できないことには変わりないですよね?

人の回答を見たり自分の回答を見てもらったりするのは価値あること。その価値とは、Aさんにしてみれば「Bさんのモノサシだとどう評価(=測定)されるのか?を知ること」になる。これをCさん、Dさんと繰り返し、メモリの違う複数のモノサシを使って、自分の回答を多面的に評価してもらい、自分のモノサシと人のモノサシのズレを「正しいのか正しくないのか良く分からないけど少なくとも自分に変な偏りやズレがないように」修正していく行為には価値がある。

しかしですね、やはりマズ重要だと思うのは「あるべき姿を教科書からきちんと確認する」ことだと思うのです。つまり、「正しいモノサシ」を手に入れるということです。
モノサシ全て手に入れてから事例を解けってんぢゃぁないですよ。全てを知ってる人なんていません。おいらだって、財務系のモノサシはひどいもんです。使い物になりません。

でも、「この事例を解くには何のモノサシが必要なのか?僕の持ってるモノサシのメモリは正しいのか?」を問い、「なければ教科書・参考書から入手する」という努力は続けました。っていうか、それ以外しませんでした。最短なんとか合格法だかしらないけど、『ココの書き方はこうしましょ。こっちが合格答案の書き方、こっちなダメな書き方』「ほーそうかそう。こう書くと受かるのか。オレが落ちたのはこういう書き方したせいか〜」ってんなわけないって。

努力している受験生の皆様。なにもできませぬが応援しております。地道な努力は必ず実るとおいらは信じて疑っておりませぬ。人は人、自分は自分で、正しいモノサシの習得に努めてくださいませ。

ちなみにオイラのモノサシの多くは、すでに忘却の彼方でございます。

2002年12月3日
今年も診断士試験2次試験の発表があったのだ。

というわけで、ココのページをごらんのほとんどの皆様がご存知の通り、本年度の2次試験の発表が2チャンネルで行われました。
公式に予定されていた日(12/2)の2日前に発表があったということで、これも受験生ニーズにこたえた結果でしょう。やはり中小企業でもIT化が叫ばれている現在、こういう臨時発表にもスムーズに対応していかないとね。

コホン。
本年も合格する人しない人と、それぞれの方がそれぞれの思いを胸に発表を迎えたわけです。合格した人は、次の口述に向け進めばいいし、そうでない人は来年また受ければいい。そんな簡単に片付けちゃいかんだろうけど、でもそうすればいい。試験は逃げません。必ず来年もそこにある。リベンジするチャンスは来年も必ずそこにある。

なんて語るとエラそうであるが、不合格者の方の実力を知ってるだけに、心底、運不運の大きさを感じるのであった・・・。

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